こんにちは。
エススポーツクラブ小手指 西山です。
この前、小手指駅のホームでうずくまって吐いている人がいた。
改札を出たところには泥酔してしゃがみこみ、ウトウトしている人もいた。
つい最近まで当たり前じゃなくなったことが、また当たり前になって来ていて
私は嬉しい(゚∀゚)ダレダヨ
さて、今日は自己肯定感の話。
ってかイチローの話。
私、野球は詳しくないけどもイチローは好きなんですよね。
天賦の際もあったでしょうけども、自分に厳しい努力の人って印象が強くて、
武士みたいじゃないですか。
私は武士に憧れがあるのでね。
で、その武士イチローが自己肯定感について話していて、
「自己肯定感を高めるって何ですか?」
ってインタビュアーに聞くのです。
説明を聞いた後、うーんって表情をして、
自分はこれで良いんだ!
自分はよくやった!
って思う必要があるんですか?というのです。
悔しいと思ったり、自分にガッカリする気持ちはあって当然。
それを繰り返すことが後の人間としての厚みを作る。
少なくとも、
「自己肯定感が高いと、その人は良いかもしれないけど僕はその人と喋りたいとは思わない」
というのです。
なるほどなーと。
確かに、今は何かにつけて自己肯定感が高いことが良いように言われるけど、
私も・・そう言われてみると自己肯定感が高い人と話したいとは思わないかも。
でも、じゃあ「自分なんて。」って卑屈になっている人と話したいのかというとそういうわけでもなく、
難しい。ていう٩( ᐛ )وケツロンナシ!
自己肯定感も考えようってことですよね。
ちなみに私は自己肯定感が高いと思うんです。(°▽°)ハナシタクネー
その自己肯定感とは・・
記憶力がなかったり、方向音痴だったり、物を無くしたり、気圧に弱く、水圧にも弱い、乗り物には酔うし、お腹は壊すしみたいな生まれ持っての部分をちゃんと背負って、、
自分は大した奴じゃないんだから一生懸命やろう!
と思うことで生まれる自己肯定感です。
その上で、、
その上で〜、で〜、えー
今、自分の良いところを書こうと思ったけど、実際あんまりないものだ٩( ᐛ )وハッハッハ
でも一生懸命やってるから。
その一生懸命を認めてくれる他者のおかげで、私は自己肯定感を高く保てているのだと思います。
他者の話で言うと、私は、運動をしている皆さんのことエライって思っています。٩( ᐛ )وサイショエロイッテカイテシマッタ
運動って最初から楽しくできた人は本当に一握りです。
ほとんどの人は一生懸命にやった結果、一生懸命じゃなくても運動を続けられるようになったはず。
だから、みんなエライ!すごい!
なんか話が変な方向に曲がっていってしまいましたが、
うちにトレーニング来る時はエライぞーって思ってもらえていると、そう思ってください。
正直、ほとんどの人にとって自己肯定感より
他者から肯定してもらいたい願望の方が高いはずですから。
そして、だんだんと、
そうか!自分はエライのか!
自分はエライ!
良くやってるじゃないか!
と自己肯定感も上がるんじゃないだろうか。
で、
その結果
イチローは話してくれなくなりますよ(゚∀゚)ドウシマス?
一生懸命描いたけど、ダメだったわ。